個別相談を利用された方の声をご紹介。
Cさん
この前は来てくださって、ありがとうございました。心の支えになっています。私をいやしてくれています。月1回の面会もありがたく思っています。これからも来て下さるのを心から楽しみにしています。私にはあなた方しかいません。とてもたよりにしています。これからもよろしくお願いいたします。
お体に気を付けて元気でいて下さい。
Bさん
退院が決まりました。面会に来てくれている〇〇さんと〇〇さんによろしくお伝えください。
Aさん
入院することになった経緯は?
父親と二人きりで暮らしていて、高齢の父の言動にやりきれないことがあり、近所の兄宅に泊めてほしいと何度も行ったら、兄に通報され、そのまま自宅とは遠く離れた病院に医療保護入院になりました。母親が7年前に乳がんで亡くなっており、母がいてくれればと思いました。
入院生活のことを、聞かせていただけますか?
入院生活は、とにかく何もすることがありませんでした。読書が好きですが、作業療法室にある新聞を読むことだけが、唯一の読書時間でした。
3人部屋で、窓の開け閉めも気を使って言うことができませんでした。入院当日から、父との面会は禁止され、手紙や電話でしかやり取りできませんでした。
補聴器の父と電話で話すのは難しく、手紙のやり取りを余儀なくされやきもきしました。90歳にもなる父は、片道2時間かけて病院に来て差し入れをしてくれました。直接受け取ることは許されず、「父に会いたいな」と何度も思いました。一度、病院の外周散歩の許可が下りた時に、偶然父を見かけたことがありましたが、声をかけられませんでした。久しぶりに見た父は、足取りもおぼつかなく少し痩せ、「年老いたなあ」と感じ、涙が出そうになりました。
入院生活で父と離れたことで、今までの父に対する感情や態度ではなく、年老いた父を私が受け入れることでうまくやっていけるのではないか、と考えるようになっていきました。
退院請求(精神医療審査会)のことを教えてもらえますか?
入院している間、主治医の方と立ち話をするだけで、特に診察もありませんでした。このままでは、いつ退院できるかどうか、とても不安になりました。後で知ったのですが、担当のケースワーカーがいるようですが、障害者年金のことも、退院後の生活のことも、何も話してくれませんでした。退院できない理由を聞くと、兄が反対しているとだけ言われました。
昨年(2018年)10月に精神医療審査会に自分で退院請求をしましたが、それを知った兄が父に取下げを要求し、いつものように暴力を振るったため、恐怖心から父が取下げました。
今年(2019年)の1月に再度、弁護士を通して請求したことで、任意入院に切り替わり、やっと退院することができました。お正月を病院で迎えたことはすごく辛かったので、もっと早くに弁護士と出会っていれば、早く退院できたのではないかと思いました。
それと、精神医療審査会から、父親との面会を認めるようという結果であったため、父親と面会ができるようになったのも、とてもうれしかったです。
大阪精神医療人権センターの方々が面会に来られて、どのように感じましたか?
退院後の生活は、夜が静かで朝までぐっすり眠ることができ、体調がいいです。食事は自炊が好きなので、父とメニューを相談し一緒に作って食べています。入院中、退院したら食べたいなと思っていたものがたくさんあるので、これから父と一緒に食べるのが楽しみです。法律事務所の事務局さんが一緒に同行してくれて、私を気遣ってくださいました。自分の意思に反した入院であったため、精神科病院に対する怒りや不安がありましたが、クリニックでは、精神科医の方も、私の意見にも耳を傾け、通院頻度やデイケアなど医師の提案に歩み寄れることが多かったです。
薬は、入院中の薬がそのまま継続して出されました。クリニックや薬局での支払いの際、高額で驚きました。診療代や薬代が経済的な負担となり、通院できない方も、おられるだろうと想像します。
障害者年金の申請手続
入院していた病院では、障害者年金手続の説明もなく、自分が受給できるということもわかりませんでした。入院費用は、父親の少ない年金の中かから、支払ってもらっていました。
病院に来てくれた弁護士の方や大阪精神医療人権センターの方から、障害者年金のことを教えてもらいました。今、社会保険労務士の方に協力してもらい、障害者年金の申請手続を進めています。
代理人(弁護士)のコメント
大阪精神医療人権センターの個別相談ボランティアの方に、退院に向けた会議に立ち会ってもらいました。その会議で、通院先のクリニックが決まり、翌日、退院することが決まりました。
そのボランティアの方は、福祉分野に精通しており、障害者年金や自立支援医療のことについて、ご助言していただき、早期退院につながりました。
Aさんのお父さん(家族)のコメント
突然入院となったその日から翌年3月まで娘と会うことも許されませんでした。
会えなくても食べ物など差入れをすることで、「おいしく食べてるかな」と想像することが喜びでした。娘がただただかわいそうで、一日でも早く退院させてあげなければと毎日必死でした。
入院中の娘は、不安や焦りから常にイライラして、普段のやさしい娘とは違う表情でした。
医師は自分の意見というものが無く、「お兄さんに聞きます」「お兄さんの許可がいります」と、息子を気にするばかりで困惑しました。
弁護士と会えなければ、おそらく今も入院させられていると思います。