お知らせ

ソーシャルワーカーと精神科アドボケイトの2つの視点

2021.09.03 UP

病院での勤務経験

わたしは、精神科クリニックで24年間、勤務していました。業務で利用者の方を入院に繋げることはあっても、退院を前提にした入院だったので、病院スタッフの方々とも違和感なくお付き合いできていたと思います。ところが、病院に異動し、入院中の方40人程を担当することとなり、見える景色が違うようになりました。

クリニックでは、その方の生活感を感じながら支援していて、一時的に入院されることはあったとしても、またお家に帰ってきられるように支援をしましたし、いつも地域で暮らす人として見ていました。でも、病院では5時になったら自分は帰るのに、入院中の方々は病棟に残るわけで、毎日「自分は家に帰るけれど、入院中の方はここに居てはるんやなあ」と病棟を眺めながら帰るのが辛かったです。

入院中の方に対して自分がかかわらない時間があって、自分が知らない生活を病院でしている方々なんだと感じてしまったのでしょうね。希望して病院で勤務したわけではないですが、振り返ってみると知らなかったことを新たに感じたり教わったりする機会になりました。

人権センターの活動に参加し始めたきっかけ

大倉入院中の方とのかかわりを人権センターに移して続けようとされているのはどうしてですか?

以前から人権センターの会員でニュースも購読していましたが、病院を辞めたころにタイミング良く個別相談ボランティア養成講座が開催されるのを知りました。自分が担当していた人の直接的な支援はできなくなってしまったけど、別の方に対して間接的に支援に参加させてもらえるんだ、入院中の方へのかかわりは病院での仕事としては辞めてしまったけれど、自分なりに責任を持って人権センターという場所で続けさせてもらおうと思ったのです。

退院したいと思っている方がたくさんいる中で、最後までやりきれなかった。あと、辞めると決めた後に、一緒に病棟で仕事をしていた看護助手の方から「PSWがどのように患者さんと接しているのか分かったよ」と手紙をいただき、一人の看護師さんからは「一緒にやっていこうと思っていたのに」と真剣に叱られました。病院を辞めたことについて罪悪感に近いものがあります。

大倉それだけ頼りにされていたんだと思いますよ。それに罪悪感って・・仰る気持ちは凄く解りますけど。

一人の職員、ソーシャルワーカーとしてできることに限界があるのは解っているんです。人の人生を背負うなんて無理ですし。ただ、それでも、途中で辞めてしまって申し訳ないという気持ちは残っています。

大倉でも自分がちゃんと元気でいないと続けられない仕事ですよね?何か限界を感じて判断されたのかしらね?

凄く尊敬している医師がいるのですが、病院に異動になった時にその医師から「榎原さん、たぶんもう息できなくなって、持たんと思うで」と言われ、多分そうかなと思いましたが、本当にそうなりました。思い立ったら自転車や車で地域を走り回っていたので、それが思うように身動きが取れなくなって孤立した感じになり、きつかったです。

身動きがとれないというのが大きくて、社会からの孤立に近い感じであるのを病院のスタッフになって感じました。だから、退院支援をしている時も病院の色々な職種の仲間と協力し合って、力を借りてというのは勿論ですが、それだけでは難しくて。どのように外の支援者さんと繋がろうかとか、色々な方法を模索し、求めていたところがありました。

面会活動に参加して

大倉最初に「大倉と一緒に一回目の訪問ができて安心した」と仰って下さったのですが、私も榎原さんとご一緒できてとても安心できました。私は少し大雑把ででたとこ勝負なところがありますが、榎原さんはいろんなことをきちんと考えて用意して来て下さったし、凄い緻密にさまざまなことを考えて提案されていたように思いました。制度についても詳しいだけでなくとてもわかりやすく面会した方に伝えてくれていましたよね。ご本人はとても納得されてました。
ただ、ご本人が理解し納得されるように制度の説明をするのは、本来、病院のワーカーさんの役割なんでしょうけれどね。

人権センターは、凄いところがたくさんありますね。一つは実際に活動に参加させてもらうと、本当に人権センターに興味を持って参加している方々を幅広く受け入れていて、医療福祉の従事者だけでなく当事者の方もおられ、精神保健福祉に直接関わりを持っていない方も多数おられますよね。排除しないというか、色々な方々とタッグを組んで活動させてもらっているので、その方たちの意見を聞くと自分には無かった視点だなあとかえって視野が開けることに気づかされます。どなたと一緒に活動させてもらってもそう思います。

面会希望者に会いに行くための準備ですが、「来て欲しい」と電話をかけてこられる方にとって、面会ボランティアが行くという重みというか、楽しみに待ってくれているんだろうなあという責任を感じています。ですので、限られた時間でどんなお話しを聴かせてもらったらいいのかなあとかできる限りの想像はして行くようにしています。

大倉でも、一回目は初めましての方が殆どだと思いますが、なかなか想像通りに行かないこともあるのではないですか?

医療機関のスタッフのときは、病名や家族、これまでどんな人生だったとか、現在の課題等をご本人に聞こうと思ったら聞けますし、医師や看護師から状況を訊けるので全体を把握しやすかったです。

人権センターの面会活動でのかかわりは、「患者さん」としてではなく、たまたま病院の中におられる誰それさんというお一人の方で、お話しを聴くにも一からのかかわりになるので、「色々教えて下さい」という姿勢のみで、病院でのかかわりとは全然違いますよね。

大倉私は病院での勤務経験がないので解らないですが、やっぱり随分違うと感じるのですね?病院では一人の人というより「患者さん」というのが先に立つのですか?

病院ではPSWという職種で、医療機関の中でも特に「生活者」という視点を持ってかかわらせてもらっているので、「患者さん」ではなく一人の生活をしている人としてお付き合いをしていると思ってやってきました。けれど、人権センターとして面会活動に行くときは、PSWのとき以上にさらに生活者の立場に立ちきることになります。

大倉病院の中で一人の人として接している立場だったとしても、なおかつ人権センターの面会活動として行く時は、さらにそのことが増幅して大きくなり一人の人対一人の人に立ちますよね。そこも大事にして面会に行っているということですね?私もそれは同感です。一人の人として出会いを楽しみながら、そのように自分も面会に行きたいと思っています。

その出会いで面会に呼んで下さった方にも何か新しい考えや発想が出てきたり、ご本人にとってしんどさよりもその方らしさや元気な部分が出てくるきっかけになるといいなと思っています。

大倉でもそれはおまけですね。わたしは、それを相手に望んでしまったら押し付けかな、相手をコントロールしたいという気持ちになってくるのではないかと思うようになりました。退院したいという気持ちがあっても退院できない方に何年間にもわたって面会することもあり、それはこちらも疲れてしまう。ある時ふと変化に気づくくらいがいいと思っています。わたしは、「何とかしてあげたい、何とかなって欲しい」という考えは、自分が相手をコントロールしたいという気持ちがでてきているのではないかと思うようになりました。その人が選ぶことが自分が選ぶことと違っても、その選択を尊重しないといけないと思うのです。

人権センターの養成講座はとても勉強になりましたし、今でもテキストを読み返しています。それでも、毎回の面会は「これでよかったのかなあ」「これでいいのかなあ」という不安はいつもありますね。だから事例検討会や活動に参加する方と話せる機会があるとほっとしますね。

人権への気づきと人権意識を磨き続けることの大切さ

最初、大阪の退院促の研修で「社会的入院は人権侵害」だと聞いてショックを受けました。精神科病院の中で人権侵害がないとは思っていなかったのですが、致し方無いところもあるのかなあ、と思っていた部分もあります。それは、自分の出会いとしては「社会的入院」の方と出会っていなかったので、そもそも意識できていなかったのです。社会的入院が何人とか長期入院が何人とか数字で聞くことはあっても、具体的に想像するところまでいってなかったと思います。
また、入院中の方の荷物を詰所で看護師がチェックする様子を見ていて、毎回嫌だと思ったけれど、それが実は人権に関わる問題だったとは認識できていなかったのです。

人権センターの活動に参加するようになって人権が守られているか、侵害されていないかどうかを、きっちり認識できるようになり、「知らないで済ませたらいけない」と、普段の仕事の中でもアンテナが立つようになりました。今、日ごろの仕事でおこなっている支援が人権侵害になっていないか、人権センターの仕事と日ごろの自分の仕事に矛盾が生じていないか振り返るようになりました。

大倉以前、当事者の方と一緒に面会に行ったときに「失敗する権利もあるんですよ」「失敗してもいいのですよ」って、面会した方に対して言っておられたことがありました。病院では「失敗したら入院生活が伸びるのだろう」と思われるわけですが、だからこそその言葉がとても染み入ったことを思い出しました。

病院スタッフの方との出会い

そして、今、人権センターから病院に面会活動に行っていつも思うのは、この病院の中にきっと仲間とか味方になってくれる人たちが、スタッフさんの中にもたくさんいるのだろうなということです。だから、スタッフさんと挨拶したり案内してくれたりと接触する機会はあるので、それも大事にしたいと思います。どんな面持ちで行くか、それは相手に伝わってしまうのでその点も気を付けています。


精神科アドボケイト 榎原紀子/インタビュアー精神科アドボケイト 大倉弘子

※本インタビューはSOMPO福祉財団のNPO基盤強化助成で実施しました。

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「声をきく」という価値観を実現する│人権センターニュース153人権センターのFacebookの記事に、コメントをすることが僕の「扉をひらく」活動です。法制度のことや入院に関することなど、家族の立場として間接的にしか聞くことができませんのでよくわかりません。講演などに行っても頭がこんがらがってしまいます。
抑圧と差別に立ち向かうのは「のびのび暮らしたいから」志も高き先達に導かれ1985年、大阪精神医療人権センターの結成総会に参加しました。その後初期の電話相談(入院されている方から人権センターにかかってくる電話での相談)に参加しました。何もない事務所に電話機とノートがポツンとあるようなところでした。

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