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メンタル疾患と「きょうだい」の悩み│精神科アドホケイト活動から次のチャレンジへ

2022.03.25 UP

家族に会いにいくように
精神科アドボケイト 書き起こし編集ボランティア

困っている自分をみつけてほしかった

統合失調症で陽性症状が出ている兄に、家族は感情的にぶつかって喧嘩ばかりしていて、当時、小学生だった僕にとって、家はとても安心できる場所ではなかったです。夜に隣の家に預けられたり、日中行く場所がないときは図書館に避難していたこともあります。今では似た経験をしている家族がたくさんいることを知りましたが、当時は「こんなひどい状況なのは自分だけ」と思っていました。誰かにこのことを知ってほしい。助けてほしいという思いは幼心にありましたが、家の外の人にこの話をするのは良くない気がしたし、そもそもどこにサポートを求めればいいのかもわかりませんでした。数年たってから本を読んで精神病のことを勉強するようになりましたが、早い段階で、利用できるサービスのことや病気の家族との適切な関わり方とか、いろんな情報があれば良かったと思います。

兄を通して精神疾患を知る

ぼくにとって兄の存在は大きいです。物心つく前に母が亡くなっていることもあって、子どもの頃、4つ年上の兄にはよく遊んでもらったり面倒を見てもらいました。自転車に二人乗りをして王将に食べに連れて行ってもらったこともあります。兄は中学から高校くらいの時に発症しましたが、高校を卒業してからは家を出て働いています。数年に1回、調子を崩して1~2か月入院することがあるので、家族として、何かあったときに支えになりたいとは思っていて、いま勉強をしている精神保健福祉士の資格を取ろうと思った理由のひとつにも、兄の存在があります。

学生時代のこと・デンマークへの留学

自死をした母のことや、兄の病気のことがあったので、カウンセラーになろうと思い大学では臨床心理学や精神病理学を学んでいました。そして4回生の時、祖母がメンタルの調子を崩して精神科病院に入院し、同じ時期に兄も調子が悪くなり入院しました。そんな家族と向き合っているうちに僕も調子を崩してカウンセリングを受けていましたが、当時、何より自分にとって助けになったのは、友人の存在でした。何度も家に泊めて話を聞いてくれたり、京都から東京まで夜通し車を走らせて武道館にライブを見に行ったりと、楽しい時間をともに過ごしてくれたことが助けになりました。そして大学を半年休学して進路変更を考える中で、「誰かの日々の生活に寄り添えるような仕事がしたい。その前に福祉をちゃんと勉強したい」と思い、せっかくなので福祉先進国と呼ばれる北欧の国で学ぶことにして、たまたま見つかった、学費が比較的安いデンマークの教育機関、”フォルケホイスコーレ”のひとつ、ノーフュンス・ホイスコーレというところに大学卒業後に留学しました。

人権センターの面会活動への参加

留学する前の冬に、祖母がまた調子を崩して入院しました。見舞いに行った時、閉鎖病棟での厳しいルールに不満を抱いていた祖母に、「あなたがこの病院の職員になって、ルールを変えなさい!」と言われました。「病院の職員になったらルールに従わないとあかんやん」と思いましたが、ぼく自身も病院の在り方を疑問に思うところがあり、図書館で古屋龍太さんの『精神科病院脱施設化論』などを読み漁り、精神病院での人権侵害の歴史や構造的問題などを知りました。人権センターの存在を知ったのもたしかその頃でした。
留学中は精神保健のことをメインテーマにして、デンマークの精神病院の見学や訪問精神科医の講演などを通していろいろと学びました。そして帰国後に自分に何ができるかと思っていた時に人権センターのボランティア募集を知り、2017年秋に養成講座を受け、その年の12月から面会活動に参加しはじめました。

病院に行って感じること

日本の精神科病院では、職員さんが一人一人にちゃんと向き合いたいと思っても、人手の問題でそれができないことが多いかもしれません。僕も普段の障害者福祉の仕事の中で、職員の数が少ないときは余裕がなく雑な対応をしてしまっていると感じることはあります。日本の精神科病院もデンマークのように患者ひとりあたりの職員数が増えた方が良いと思いますが。それが叶わなくても、人権センターから面会に行ったボランティアが、忙しい職員の代わりにゆっくり話を聞いて病院の職員に伝えるというのは、患者さんと職員さんの双方にメリットがある気がします。

面会活動は僕にとって、親戚のおっちゃんの家とか、老人ホームにいるおばあちゃんに会いに行くような感覚で楽しみにしている面もあります。皆さん面会の日を楽しみにしてくださっているので、お会いして話をするだけでも価値はあるかもしれません。
お会いする方の中には、気持ちの揺れがありながらも、時には「ずっとここ(病院)にいたい」と言う方もおられます。僕はそういう方には無理に退院を促そうとは思ってはいなくて、その方が病院の外の人とのつながりを持ってるだけでも意味があると感じています。「何かあればお手伝いしますよ」というスタンスで繋がり続けることもきっと大切です。

精神科病院の管理的な側面は、マイペースで気性の荒い面もある祖母には合わなかったようです。ぼくは普段の祖母の様子を知っているので「こういうことをされたら調子が悪くなくても興奮して怒る」と理解していましたが、病院の職員さんは病気になる前の祖母の様子を知りません。たとえば病院の厳しいルールに激怒してナースステーションに入って怒鳴りつけるようなことは僕の祖母にとっては普通のことですが、病院の職員さんは病気の症状ととらえていました。見舞いにいったときに主治医と話す中で「祖母はふだんからこういう性格で…」と伝えていくと、2か月ほどで祖母は退院しました。入院患者本人の声より家族の話を病院の人はよく聞いてくれた印象があります。家族がいない人には、ボランティアが面会を重ねてその人の話をよく聞き、気持ちを代弁するのが大事だと思って、活動に参加しています。

本インタビューはSOMPO福祉財団のNPO基盤強化助成で実施しました

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