テーマ1 息を合わせる
くるみざわさんは、講演の中で恩師である中井久夫さんに「本人、家族、医師の『息を合わせる』ことが大切」ということ、初診で患者さんとご家族が病院に来たら、「本人とご家族と医者のそれぞれに考えがあります。三者の考えに違いがあってもいいですが、違いを認めないとそれぞれが良かれと思ってやっているのにずれてしまいます。息を合わせて行きましょう、うまく行かないことがあったら遠慮なく言って下さいね」。これを治療の最初にしなさいと習ったとお話しされました。
また、「精神科の治療文化」としてご自身が大事だと思うことは、①患者さんを尊敬すること、②待つこと、③言葉の使い方、この3点だということでした。
この講演内容を受けて、コーディネーターの竹端さんとくるみざわさん、貝田さんとで以下のようなやりとりがありました。
竹端くるみざわさんが治療文化で大事だとおっしゃった、言葉の遣い方や患者さんを尊敬するというのは、きっと接遇研修だけのことでは無いですよね。人との向き合い方とかあるいは中井久夫さんの言い方だと「息の合わせ方」だと思うのです。けれども、センターに届く「入院中の方の声」と照らし合わせて考えると、特に急性期や強制入院という場面において、本当に医療者の側が「息を合わせる」ことをやっているんだろうかと疑問に思うことがあります。それについてはどうですか?
くるみざわ「息を合わせる」ために、患者さんや家族が苦労している場合が多いと思います。本来なら、医療者のほうが苦労しないといけないのに、その努力もスキルも足りないですね。完璧は無理でも、工夫や努力ができる点はもっとあると思います。言わなくていいことを言ってしまうのを減らすとか、言うべきことを言うとか、説明を省かないとか、いくらでもあると思うんです。
竹端そういう風に医者や看護師やソーシャルワーカーといった側が患者さんとの関わり方を変えると、患者さんの病状やご家族の対応の在り方も変わってくる可能性もあるのでしょうか?
くるみざわあると思います。たとえば僕も、患者さんとの関係が荒れてしまってうまく行かなくなることがあります。そういう時に、関係の修復のためにどうしたらいいかを一生懸命考えて、手を打ちます。それがうまくいって、また「息が合えば」治療もスムーズに進むし、回復もスムーズになるわけです。気づきと粘り強さが必要ですね。
医療者同士が学び合う関係や、学びのグループを持っているかどうかが大事だと思います。その点、僕は中井さんのところにいましたので、恵まれていたかもしれません。
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入院中の方と「息を合わせる」ためにできるこ
竹端貝田さんは、先ほど「隔離・拘束時は関係を構築できるチャンスになることもあった」と仰っていました。具体的なエピソードがあれば教えてもらえますか?
貝田長期的な隔離をされている方がいて、一方的な医療が続いている方がいました。ほとんど本人の意見を聴くことはなく、たとえば「開放観察します」「何時から何時まで出て下さい」「時間になったら戻って下さい」という関わり方がずっと続いていました。けれども、ある時本人が「売店に行きたい」とおっしゃった。売店に行くには私たちは何をすべきか、ご本人の意見を尊重しつつ、スタッフの意見も聴きつつ、アサーティブな(お互いの想いを尊重した)やりとりをし、ご本人の希望を実現するためにどうしていくかを考えました。すると、自身で売店までちゃんと歩けるかを考えて、隔離室の中でスクワット運動をするなどの準備をされました。結局、患者さんの意見を聴いた上でケアを進めると、隔離が解除になったということがありました。
ご家族と「息を合わせる」ためにできるこ
竹端精神障害のある方のご家族の中には、たとえばご本人が急性期とかそれに近い状態の時にご家族に暴力を向けたという経験を持たれて、そのために「ずっと入院していて欲しい」と思う方がおられるということがあります。このような状況は現場ではどのように変えていけそうでしょうか?
貝田それはたとえば、風邪をひいていて40度の熱がある時と入院して解熱し36度になった時とは全然違っていて、その時にはその時の事情があるのですよね。それをちゃんと伝えること、面会で来られた時も本人の悪いことを伝えるのでは無くて、肯定的に「こんなとこが変わりましたよ」「こういうふうにそのときのことを振り返っておられましたよ」とか、一つ一つの伝え方によって全然違ってくると思います。
竹端先ほどの大橋さんの話(人権センターニュース160号掲載)からすると「暴れた理由」みたいなものをしっかり伺った上で、実はこういう理由があったけれど随分良くなったよと伝えてくれるだけでも家族関係は変わって来るかも知れないと、そういうことでしょうか?
貝田はい。家族も本人がよくなって欲しいという思いは変わらないですからね。