■はじめに
1985年11月9日に大阪精神医療人権センターを設立してから早くも丸20年が経過しました。設立20周年記念誌をお届けします。
この記念誌のタイトルをどうするかで議論をしました。
「精神病院は変わる」「精神病院が変わる」「精神病院を変える」なども出ましたが、最終的には、昨年(2005年)11月の20周年記念シンポジウムのタイトルと同じ「精神病院は変わったか?」に落ち着きました。議論の対象となったいずれのタイトルも精神病院のあり様に関するものです。
私達人権センターの出発点は、1984年3月に発覚した栃木県宇都宮病院における看護者による患者傷害致死事件であり、この事件を含む、過去から現在まで繰り返し発生している精神病院における不祥事に対する怒りが人権センターの活動の根底にあります。私達は精神病院にこだわり続けています。
精神病院のあり様は、病院と地域社会の関係、言葉を代えれば、精神障害者が地域で生活するうえで、安心してかかれる医療機関として精神病院があるか、精神病院への入院は、地域で生活する力を取り戻すためのものとして機能しているか、ということと密接に関係しています。精神病院の現状を検証すれば、患者が地域に帰れるよう努力しているか否か、地域における利用可能な社会資源の状況、家族との関係などがよく見えてきます。
20年前の人権センター設立集会への参加呼びかけビラには次のように書きました。
「日本の精神医療の現状は依然として治安優先の隔離収容の思想でつらぬかれています。精神病の治療についての悲観的な見方がなお治療者自身の側に強く、じつは多くの隔離と差別の結果である事態についても、それが患者と疾病のせいであるかのようにみなされていき、悲観的な見方を一層強化しています。社会の差別と偏見は、何か精神病者にまつわる不幸な『事件』の発生するたびに権力とマスコミが一体となって展開する執拗な野放しキャンペーンによって常に煽動されています。閉鎖的な精神病院の中では患者に対する人権侵害が日常化しています。密室化し治外法権化した精神病院の中で何が行われているか外から知るのは容易なことではありません。」
この20年前と対比して今日の状況は変わったでしょうか。変わった部分もあり、残念ながら変わらないままの部分も多々あると言わねばなりません。そして、昨今、医療費削減と治安強化の中で、逆流現象が生じています。自立支援法という名の自立阻害法、心神喪失者等医療観察法などはまさにその典型でしょう。
このような逆流を押し返し、まだ変わっていない部分を変えていくためには、多くの患者、家族、市民、精神保健福祉従事者、弁護士による運動、行政への働きかけ、相互のネットワーク構築が不可欠です。
私達は、設立当初から持ち続けている怒りを具体的政策提言のエネルギーに変えなければならないことをこれまでの活動の中で学び、多くの方々の御助言・御支援を得て、少しずつではありますが、その成果を積み重ねてきました。
“継続は力”です。私達は、継続しつつ、より質の高い活動を作り出していきたいと思っています。
皆様方の一層の御支援を心よりお願い致します。
2006年5月13日
NPO大阪精神医療人権センター 代表理事(弁護士) 里見 和夫