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「精神病院はかわったか?」20年の活動経過と今後の課題

2020.05.09 UP

第1章 20年の活動経過と今後の課題

里見 和夫

 

1 わが国の精神医療の劣悪な実態

 1946(昭和21)年に個人の尊厳、基本的人権の尊重を基調とする日本国憲法が公布された。
しかし、この新憲法のもとで1950(昭和25)年に成立した精神衛生法は、基本的人権の尊重に逆行する強制入院中心主義で貫かれており、強制入院手続法と呼んでよいものであった。精神衛生法には、入院形態としては、措置入院と同意入院(患者本人の同意ではなく、保護義務者である家族の同意に基づく入院で、基本的には現在の医療保護入院と同じ性質のもの)という2種類の強制入院のみで、患者自らの意思に基づく入院は全く規定されていなかった。
しかも、同法は、入院中は、医師にオールマイティとも言うべき権限を認めており、たとえ弁護士が患者との面会を申し込んでも、「面会させると患者の症状が悪くなるおそれがある」の一言で弁護士との面会すら拒否できるものであった。
このように精神障害者は、強制入院により社会から隔離され、精神病院の閉鎖病棟の中で、外部との自由な交流を認められないまま、長期間入院することを余儀なくされた。
しかも、1958(昭和33)年には、精神病院の医療従事者のうち、医師については他科の病院の1/3でよく、看護者については他科の2/3でよいという内容の厚生事務次官通知が出され、医療実態の劣悪化が一層激しくなった。これが悪名高い医療法の精神科差別特例である。
このような外部からのチェックが及ばない、いわば密室化した、かつ、劣悪な医療実態の閉鎖病棟の中で、入院患者に対する看護者らによる暴力などの不祥事が多発した。
一方、社会では、精神障害者による殺人などの事件が起こると、必ず、「精神障害者は危険」などというキャンペーンが展開され、精神障害者を社会から隔離するための何らかの対策が必要だという議論が行われてきた。このような議論が精神障害者に対する差別と偏見を更に強める役割を果たすことは明らかであり、精神障害者が地域で生活することを一層困難にしていった。
そのような議論を集約する形で、1974(昭和49)年5月29日、法制審議会は改正刑法草案を議決し、法務省に答申した。その草案の中に、「保安処分」制度が盛り込まれていた。
即ち、改正刑法草案は、「精神の障害により、責任能力のない者又はその能力が著しく低い者が、禁固以上の刑にあたる行為をした場合において、治療及び看護を加えなければ将来再び禁固以上の刑にあたる行為をするおそれがあり、保安上必要があると認められるときは、治療処分に付する旨の言渡しをすることができる(同98条)」「治療処分に付せられた者は保安施設に収容し、治療及び看護のために必要な処置を行う(同99条)」「仮退所を許された者は療護観察に付され(同106条1項)、再収容を必要とする状況があると認めるときは、これを再び保安施設に収容することができる(同条2項)」と定めていた。
この保安処分制度新設の動きに対して、全国的に反対運動が盛り上がりを見せ、1987(昭和62)年、最終的に政府は改正刑法草案の国会上程を断念せざるを得なくなり、同法案は廃案となった。この反対運動の中で、日本精神神経学会や日本弁護士連合会は「保安処分」制度が被処分者の治療矯正・人権保障に資するものではないと批判し、「精神障害者に対しては何よりもまず医療を先行させるべきである」と主張してきた。
しかし、保安処分制度の新設を含む改正刑法草案は廃案になったものの、精神医療の劣悪な実態は仲々改善されず、1983(昭和58)年当時でも、精神病院入院患者33~34万人のうち、措置入院15%、同意入院80%という数字を示しており、依然として不祥事が後を断たなかった。

2 大阪精神医療人権センターの設立

 「大阪精神医療人権センター」は、1984(昭和59)年3月に発覚した栃木県宇都宮病院における入院中の精神障害者に対する看護者による傷害致死事件に大きな衝撃を受けた患者・家族・医療従事者・弁護士・一般市民らが集まり、人権侵害から精神障害者を救済する活動を展開することを目的として1985(昭和60)年11月に設立された。
昨年(2005年)11月には、人権センター設立20周年記念集会を開催し、「精神病院はどこまで変わったか?―この20年と今後の課題―」というテーマでパネルディスカッションを行った。
人権センター設立当時の日本の精神病院における人権の劣悪な状況については、宇都宮病院事件と同年の1984(昭和59)年10月に開催された日本弁護士連合会人権擁護大会の「精神病院における人権保障に関する決議」が端的に示している。
同決議の本文は次のとおりである。
精神障害を理由として精神病院に収容される者の人権を保障することは、適正な精神医療の確立にとって欠くことのできない土台である。この観点から、国と地方自治体及び医師をはじめとする精神医療関係者が、緊急に次の措置をとるよう要望する。

  1. 精神病院における入院患者に対し、検閲なく通信を行い、かつ、通信を受ける自由及び立会人なしに面会をする自由を具体的に保障する措置をとること。
  2. 入院を強制される者が、何時でも弁護士による援助を受けることができるように、そのための制度的な方策を検討すること。
  3. 入院中の行動制限は、医療上、真に必要な範囲に限られるべきであり、決して濫用されてはならないこと。
  4. 公正で自立性をもった第三者的審査機関の設置をはかり、患者、家族の第三者的審査機関に対する不服・救済の申立権を保障すること。

20年前の決議を見て、この20年で変わったこと、依然として変わっていないことを整理・検討し、精神障害者の人権擁護のために、人権センターとして今後何をしなければならないかの方向性を打ち出していくことの必要性をあらためて認識した。

3 人権センターの活動の歩み

 当初は、社会から隔離され、いわば密室になっている精神病院の風通しの悪さこそが人権侵害の温床であると位置付け、“精神病院に風穴を開けよう”をスローガンとし、精神病院に入院中の精神障害者からの人権侵害の訴えを受けとめることから始めた。
電話・投書・家族や退院患者への伝言などの方法により人権センターに届いた入院患者からの訴えの内容を検討し、病院への面会活動・対行政交渉等を行い、人権侵害の救済に努力してきた。
1988(昭和63)年7月に施行された精神保健法(後に改正され、名称も「精神保健福祉法」に)は、宇都宮病院事件によって国の内外から日本の精神医療の閉鎖性、劣悪な医療実態に対する厳しい批判がまき起こったことを受けて、通信(信書・電話)・面会は原則として自由であり、特に行政機関の職員および患者の代理人である(または患者か家族の依頼により患者の代理人になろうとする)弁護士との電話・面会については絶対に制限してはならないものと定めたので(昭和63年厚生省告示第128号・第130号)、人権センターは、病院への面会活動を一層強めるとともに、医療的には入院の必要がないのに退院後の生活環境が調わないため入院を継続せざるを得ない精神障害者(いわゆる「社会的入院患者」)が多数存在することについて、それを著しい人権侵害と捉え、精神障害者が普通に地域で生活できる体制づくりの必要性を訴え、“病院から地域へ”を次の目標として掲げた。
その一環として、設立当初から行ってきた公営住宅への精神障害者単身入居を認めるよう行政に要請する活動にも一層力を入れた。
しかし、実際に公営住宅への精神障害者の単身入居が認められるようになったのは、何と20年後の本年(2006年)2月からである。2005年12月末に公営住宅法施行令が改正され、ようやく可能になったが、余りにも遅すぎる行政の対応の一例である。

4 人権センターに一大転機をもたらした大和川病院事件

 人権センターは設立後数年間は、私書箱への投書と毎週1回の電話相談によって患者や家族等からの訴えを受付けていたが、事務所や専従の事務局員を置くことができなかった。
しかし、人権センターの活動を継続・拡大していくためには、事務所と専従事務局員がどうしても必要であるとの認識が高まり、1991(平成3)年に狭いながらも事務所を開設し、1992(平成4)年に当事者を専従事務局員(事務局長)として配置する体制を調えた(現在は、少し広い事務所を確保し、専従事務局員も2名になっている)。
これにより事務局機能が徐々に充実し、病院訪問活動も更に活性化していった。
そのような中で、1993(平成5)年2月に大和川病院事件が発覚した。同病院に入院していた患者Iさんが何者かから暴行を受け、適切な治療がなされないまま放置されたため、転院先の病院で死亡するという事件が起こったのである。
Iさんの遺族から相談を受けた人権センターは、患者、家族あるいは大和川病院の現職の看護婦などの職員、そのほか多数の人たちからの訴えや情報提供に基づいて調査をすすめた。
その結果、①大和川病院が医師・看護者の数を大幅に水増しして診療報酬を不正に受給していること、②実際には、医師・看護者が極端に少なく、満足な治療はほとんど行われていないこと、③そのため、患者の症状とは関係なく画一的に投薬や点滴が行われていること(画一処方)、④患者が看護者に質問したり、反抗的な態度を示したりすると、懲罰的に保護室に入れていること(保護室の濫用)、などの劣悪な実態が明らかになった。
そこで人権センターは、1993(平成5)年3月以降大和川病院および関連2病院の監督官庁である大阪府に対し、再三にわたって3病院における医療実態の早急な調査と徹底した改善指導を要請した。まさに患者の生命・身体の危機であり、重大な人権侵害と判断されたからである。
しかし、大阪府の対応は驚くほど鈍く、むしろ病院をかばおうとするかのような対応が随所に見られ、結局、大阪府が大和川病院等に対する本格的な調査を開始したのは、人権センターによる要請から4年以上経過した1997(平成9)年3月になってからのことであり、それもマスコミが3病院の問題を大々的に取り上げるようになったためである。
その間人権センターは、十数名の弁護士の協力を得て、大和川病院に入院中の患者に面会活動を行い、同病院に員数合せの医師を派遣している大学病院の医局に対し、同病院の実態を把握したうえで医師を派遣しているのかを尋ねる質問書を送付した。これに対し、大和川病院は、精神保健福祉法に違反して弁護士と患者との面会を拒否したり、大学病院宛に送付した質問書が名誉毀損に当るとして、人権センターに対し、刑事告訴や民事損害賠償請求訴訟を提起してきた。一方、人権センター側は、病院に対し、Iさんの遺族による損害賠償請求、病院の面会拒否に対する損害賠償請求等十数件の裁判を提起した。
これらの訴訟は全て人権センター側の勝訴に終った。
最終的には、大和川病院外2病院は、1997(平成9)年10月1日、病院の開設許可そのものが取消され、廃院となった。
大和川病院事件によって、人権センターは、精神障害者の権利擁護を担う第三者機関として広く認知されるようになった。また、同事件を通じて人権センターに協力していただける弁護士や精神保健福祉従事者・患者・家族・一般市民のつながりが大きく広がった。
これらは、その後の人権センターの活動のあり様を決定付けたと言える。

5 権利擁護システム構築のための提言等

 大和川病院事件の最大の問題は、同病院内における人権侵害に関する人権センターなどから大阪府への訴えが4年以上も放置された点にある。
しかも、大和川病院は、1963(昭和38)年の同病院開設以来、1969(昭和44)年に看護者による患者傷害致死事件(第1次大和川病院事件)、1979(昭和54)年にも同じく看護者による患者傷害致死事件(第2次大和川病院事件)を起こしていたにもかかわらず、行政による改善措置は、結局、形だけのものにとどまり、1993(平成5)年の第3次大和川病院事件まで同病院は存続してきたのである。
これらの事実は、有効な権利擁護システムが存在していなかったことを端的に示している。
人権センターは、従前は、行政が設置している種々の審議会に参加することにどちらかと言えば消極的であった。力量の問題もあったが、仮に参加しても、単に意見を聞いたというアリバイ作りに利用されるだけという思いが強かったからである。
しかし、大和川病院事件によってその存在が社会的に認知された人権センターの意見は、行政が単に聞き置くということでは済まない重みを持つようになり、これを利用して行政の各種審議会等で積極的に政策提言していくことの必要性が痛感された。
人権センターの代表および事務局長は、1998(平成10)年3月から大阪府精神保健福祉審議会に参加し、当時同審議会が知事の諮問を受けて検討していた「大阪府障害保健福祉圏域における精神障害者の生活支援施策の方向とシステムづくりについて」(1999年3月答申)の取りまとめに尽力するとともに、それに引き続いて、精神病院内における人権尊重を基本とした医療・処遇のあり方および権利擁護システムの検討が不可欠であることを同審議会に提起し、1999(平成11)年6月から2000(平成12)年4月までの議論を経て、同審議会において同年5月知事に対する意見具申「精神病院内における人権尊重を基本とした適正な医療と処遇の向上について」が採択された。
この意見具申を具体化するための作業が人権センターも参加した大阪府精神障害者権利擁護連絡協議会において2001(平成13)年から2002(平成14)年まで2年をかけて行われ、「精神病院における入院患者の権利擁護システムの構築について」と題する報告書としてまとめられたが、その中で打ち出された「精神医療オンブズマン制度」を人権センターが大阪府から業務委託を受けて実施することになった。
精神医療オンブズマン制度は、従前人権センターが実施してきた、個々の患者から連絡を受けて病院を訪問し、面会する活動とは異なり、個々の患者からの依頼なしに病院を訪問し、病院内に滞在して、療養環境を視察するとともに、患者からの相談・訴え・要望等を聞いて、病院に対し、改善提案や患者からの要望等の伝達をするという新しいスタイルのものである。
一方、人権センターが行ってきた従前の病院訪問活動のうち、弁護士が患者から委任を受けて患者の代理人として退院・処遇改善請求をする活動については、1998(平成10)年5月からスタートした大阪弁護士会高齢者・障害者総合支援センター(略称「ひまわり」)が行う精神保健支援業務(いわゆる「精神保健当番弁護士制度」)によって引継がれることになった。
「ひまわり」は、精神病院に入院中の患者から出張相談の申し込みがあると、ただちに担当弁護士を選任し、その弁護士は、原則として申し込み日から4日以内に病院に電話をして、患者から事情を聴取し、申し込み日から10日以内に病院に出張して、患者と面会し、特段の事情がない限り患者の代理人を引き受けるべきものとされている。弁護士費用は法律扶助協会が立替え、患者の負担はない。もちろん、人権センターの弁護士や大和川病院事件に協力してくれた多数の弁護士が「ひまわり」に登録して、当番弁護士として出動している。
精神医療オンブズマン制度と「精神保健当番弁護士制度」は、人権センタ-が大和川病院事件に全力を挙げて取り組んだことによって得られたものであり、人権擁護システムの重要な一翼と位置付けることができる。

6 オンブズマン活動による病院の変化

 特に、人権センターが業務委託を受けて実施する精神医療オンブズマン制度は、その実施状況次第では、人権センターの存在意義が問われかねない重要な位置を占めている。
2003(平成15)年4月からスタートしたオンブズマン制度は、丸3年が経過しようとしているが、この間、講義研修および実地研修を通じて、合計37名のオンブズマンを養成し、これらのメンバーが大阪府下の精神科病棟を有する病院61(単科は45)のうち40病院を訪問した。
オンブズマンは、病棟などを視察し、患者から話を聞いた結果、ユーザーあるいは市民として、これは法的に問題だと思ったり、あるいは医療法等の法令の基準に違反しているとまでは言えないとしても「自分が入院患者だったら嫌だな」と感じたりした事項については、病院側に伝えて改善を求めるなどの働きかけを行うとともに、大阪府精神障害者権利擁護連絡協議会(オンブズマン制度の実効性を保障するためのネットワークで、大阪府・大阪精神病院協会・人権センターを含む11機関+1学識経験者によって構成、事務局は大阪府こころの健康総合センター)に提出する報告書に詳細を記載している。
報告書の中に記載する頻度が高い事項をいくつか掲げると、①任意入院患者が閉鎖処遇を受けている、②患者に病棟作業をさせている、③プライバシーの保護が不十分である(ベッド周りのカーテンがない、保護室内のトイレに囲いがない、など)、④病棟の環境などが良くない(エアコンがないか、効いていない、原則として、衣類は下着を含めて全部リース品を使用させられ、自分の物を着用できない、トイレットペーパーを1ロール100円で買わなければならない、など)、⑤退院へ向けてのサポートが不十分、⑥投書箱がないか、あっても活用されていない、などである。
オンブズマン活動の重要な点の一つは、病棟の視察や患者等からの聞き取りを行った後、病院側との意見交換の機会を設けていることである。その場で、オンブズマンは、当日の訪問活動の中で感じたことを率直に病院側に伝え、検討要請や提言などを行っている。
これらの提言等に対し、医療監視や実地指導で指摘を受けたことはないといわば開き直る病院は比較的少く、多くの病院は、すぐに対応できそうな事項については、検討・改善を約束し、短期間のうちに改善した旨の回答をくれており、長期計画に関係する部分については、オンブズマンの意見も参考にする、あるいは考慮するという姿勢を示している。
人権センターは、このようなオンブズマンと病院とのやり取りを含む「病院訪問活動報告書」を作成して連絡協議会事務局に提出し、連絡協議会事務局は、これを当該病院に送付して意見・弁明等を求め、連絡協議会は、報告書とそれに対する当該病院からの意見等をもとに検討し、その検討結果をあらためて当該病院に送付して、問題点の改善等を求めるという作業を行っている。
このような、双方向のやり取りにより、精神病院の風通しが次第によくなり、療養環境の改善が徐々にではあれ進んでいる病院が多くなってきていると感じている。

7 今後の課題

 人権センター設立当初のスローガンとして掲げた“精神病院に風穴を開けよう”によって実現しようとした精神病院の風通しの悪さの改善、密室性の打破の面では、既に述べたとおりかなりの前進が見られる。
しかし、精神病院の療養環境の更なる改善や“病院から地域へ”を実現していくためには、個々の病院の変わろうとする努力だけでは解決できない制度上の問題が厳然としてあるのに、この点について全面的に責任を負っている行政の姿勢が残念ながら余り変わっていない。悪名高い医療法の精神科差別特例の存続はその端的な一例である。それどころか、精神障害者等の社会的弱者の生活を一層危機的な状況に追いやる障害者自立支援法(2006年4月施行)という名の自立阻害法、あるいは精神障害者に対する差別と偏見を拡大し、地域から排除することにつながる心神喪失者等医療観察法(2005年7月15日施行)という明らかな逆流と言わねばならない事態が現出している。
人権センターは、この20年の活動によって獲得してきた精神医療オンブズマン制度をはじめとする人権擁護システムを定着させ、一層の拡大・強化をはかり、行政によって作り出されている逆流現象ともいうべき事態に対して、精神医療の抜本的改善へ向けて積極的な問題提起・提言を行うとともに、これらの課題について志を同じくする全国の諸団体・個人との間で広汎なネットワークが築けるよう全力を挙げて取り組んでいきたいと考えている。
全国の皆様の御支援・御協力をお願いしたい。

◆コラム

心神喪失者等医療観察法は廃止されなければならない
― 施行後、問題点が次々と現実化

1.心神喪失者等医療観察法の成立

2001(平成13)年6月に起きた大阪府池田小学校児童殺傷事件を契機として、政府は、2002(平成14)年3月「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案」を国会に上程した。同法案は、多数の精神科医をはじめとする医療従事者、弁護士、患者、市民などが明確な理由を示して反対したにもかかわらず、同年12月には、自民党・公明党の共同提案による一部修正案が強行採決されて衆議院を通過し、2003(平成15)年6月には参議院で強行採決され、同年7月には衆議院で再議決(強行採決)されて成立した。
そして、同法は、2005(平成17)年7月15日から施行された。

2.同法のしくみ

 同法は、殺人、放火、強盗、強姦、強制わいせつ、傷害、傷害致死に当る行為(重大な犯罪行為、以下「対象行為」という。)をした者について、
① 検察官がその者を心神喪失または心神耗弱と認めて不起訴にしたとき、
② 起訴されたが、裁判で心神喪失と認定され、無罪の判決が言渡され、それが確定したとき、
③ 起訴されたが、裁判で心神耗弱と認定され、執行猶予付きの有罪判決が言渡され、それが確定したとき、
のいずれかの場合には、検察官は地方裁判所に対し、その者をこの法律による強制入院または強制通院させる必要があるか否かを決定するよう求める申立(審判申立)をしなければならないと定めている(33条)。対象行為をして①、②、③のいずれかに該当する者を「対象者」という。
審判は、原則として裁判官1名と精神科医1名で構成される合議体で行われるが、上記①(検察官が不起訴にしたとき)の審判申立の場合、対象者が本当に対象行為とされている犯罪行為をしたのかどうか、また、対象者が対象行為を行ったときに心神喪失あるいは心神耗弱の状態にあったかどうかの判断は、いずれも、裁判官だけで行うものとされているから、裁判官と精神科医で構成される合議体で判断されるのは、対象者にこの法律による強制入院等の処分をするかどうかの部分だけということになる。
そして、この法律による強制入院等の処分をする場合、その要件は、「対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するため、入院または通院させてこの法律による医療を受けさせる必要があること」である。

3.指摘されていた問題点

この法律の問題点は、従来から極めて明確に指摘されていたが、主要なものを掲げれば次のとおりである。

  1. できないものをできるかのようにいう「再犯予測」
    上記2に掲げたこの法律による強制入院等の処分の要件は、当初は露骨に「再犯のおそれがあること」とされていたところ、将来「再犯のおそれ」があるか否かを確実に予測することは不可能であるという大多数の精神科医の批判に合理的な反論ができなかったため、このような批判をかわす目的で上記のとおり修正されたものであるが、社会復帰の促進など一般に受け入れられやすい文言を挿入しているものの、要するに、「(入通院医療を受けないと、)将来犯罪行為を行うことなく社会復帰することができないおそれ」があるか否かを予測するわけであるから、結局「再犯のおそれ」の有無を予測するのと実質的には全く同じである。
    およそ不可能な再犯予測を精神障害者に対して行おうとする同法は、「入通院医療を受けなくても犯罪行為を行うおそれが全くないと認められるまで」精神障害者を強制入院等させるものであり、再犯予測が不可能である以上、精神障害者は、いつまでたっても犯罪行為を行う「おそれ」がないとは認められず、一生の間強制入院等をさせられるおそれが極めて大である。
    このように同法は、本来誰についてであれ不可能な再犯予測を精神障害者についてだけは可能であると強弁して行おうとするものであり、精神障害者に対する差別以外の何物でもない。

  2. このような特別な制度を必要とする理由の不存在
    被害者感情に配慮したものといわれているが、対象者の約85%は初犯であるから、この制度によって問題は何ら解決しないばかりか、「精神障害者は危険だから閉じ込められるのだ」という偏見を一層助長してしまう。

  3. 迅速かつ継続的な治療が現在以上に困難に
    この法律は、まず対象者を2~3ヶ月鑑定入院させるが、鑑定入院期間中の治療については、一切定めていない。
    「事件」発生直後のいわゆる「急性期」は、迅速・適切な治療が最も必要とされている時期である。その時期に何ら明確な医療の保障がないまま鑑定のために強制入院させられるのである。この法律による治療が行われるとしても、早くても2~3ヶ月の鑑定入院が終ってからであり、治療を受けるのは、対象者が入院・通院した経験のない指定入院・通院医療機関という、信頼関係が全く形成されていない場ということになる。しかも、その頃には急性期が過ぎているから、強制という形で治療を成立させることは困難であろう。

  4. この法律による強制入院・通院の具体的治療内容が不明
    この法律は、対象者に適切な医療を行うことによって、対象者の社会復帰を促進することを目的とすると謳っている。しかし、「社会復帰の促進」という同じ目的をもった精神保健福祉法による医療がこれまで行われてきているのであるから、それとどのように違うのかが明らかにされなければ、新たに心神喪失者等医療観察法制度を立ち上げる合理的根拠がないはずである。ところが、現実には、厳重な施設警備体制と精神保健福祉法の数倍に当る人員配置、それによって可能となる治療計画の策定以外の治療の内容については、具体的な差違は殆んどない。手厚い人員の配置、治療計画の策定等は、精神保健福祉法による治療において、その必要性が繰り返し指摘されてきたところであり、この法律による医療を何ら正当化するものではない。

4.施行後の状況

5.現実化した問題点

2005(平成17)年7月15日に施行されてから2006(平成18)年2月末で約7ヶ月半が経過したが、同年3月3日現在合計189件の申立がなされている(表1)。その手続の中で、既に指摘されていた問題点が以下に述べるとおり次々と現実化している。
(1)鑑定入院先の主治医と鑑定医が同じ医師であるケースが目立っている。鑑定と治療を同じ医師が行ってよいのか。対象者(患者)は、治療を行うのが鑑定医であることを認識しているから、果たして治療の場における信頼関係が形成できるのか。
(2)鑑定入院していた病院の主治医(鑑定医と同じであることが多い)が、症状が軽快すると正確な鑑定に支障が出るとして、対象者(患者)に必要な投薬量の半分しか投与しなかった事例が判明している。適切な医療とは、医療観察法制度の始めから終りまで保障される必要があるのに、制度の一番最初の時点である鑑定入院中の適切な医療が保障されておらず、それに対する不服申立の方法も全くないのであり、それがこの医療観察法制度の構造そのものなのである。
(3)あるケースでは、「心神喪失により責任能力なし、無罪」の判決が言渡され、2週間後にその判決が確定し、医療観察法に基づく申立がなされた(殺人事件を犯した)対象者について、その申立までの間に行政が措置入院の要否を判定したところ、1人目の指定医の診察で措置要件が否定され、医療保護入院となったが、鑑定医は、同医師自身も措置入院の要件は存在せず、今は行動穏やかであり、妄想の対象は亡くなった被害者(配偶者)に限定されていたことを認めながら、「今後ストレスや緊張により突然の衝動行為が出現する可能性がある」とし、「それは、一般病院では治療できず、医療観察法による入院治療が必要である」と結論付けた。まさに「再犯のおそれが100%ないと認められなければ、医療観察法による強制入院が必要」という判断である。
このケースについては、裁判官は、この鑑定医の結論を採用せず、医療観察法による医療の必要なしとの決定を下した。
しかし鑑定医の上記判断は、医療観察法の本質を体現しているという事実は、動かしようがないと思われる。
(4)「被害妄想により家族を殺害したが、公判中に医療保護入院による治療を受け、『心神喪失により責任能力なし、無罪』の判決が言渡された後、医療観察法に基づく申立がなされた時点では、既に寛解していた事例」では、対象者が審判時点で既に寛解していたこと、治療への反応性が良好であり、今後治療に困難を伴うとは考え難いこと、対象者や家族の治療への動機付けが強いこと、などの理由から、医療観察法による医療の必要なし、との鑑定意見が出され、審判も同じ決定を下しているが、そもそも申立時点で寛解していたのであるから、2ヶ月もの鑑定入院命令は不必要なケースであったと考えられる。
(5)対象者が居住地から遠く離れた場所にある精神病院に鑑定入院させられた事例は数多くある。
(6)ある事例では、裁判官は、一方では、医療観察法に基づく入院医療の必要を認めながら、他方で、指定入院医療機関が岩手県と東京都の2ヶ所しかないこと(当時)を挙げ、「(遠方への)移送で生じる不利益、不便は甚大」として、これまでどおり精神保健福祉法に基づき、医師の診断に従って入院治療させることが最適との判断を示した。
(7)医療観察法による医療は、現在のところ、厳重な警備体制下ではあるが、新しく作られた施設で、原則として個室であるため比較的「快適」な住環境と手厚いスタッフ、それによって可能となる治療計画策定等以外には、治療内容としては、精神保健福祉法による治療と質的な差はないと言ってよい。
しかも、医療観察法による医療によっては、対象者とされる者のうち約85%が初犯であるという問題は何ら解決できないのである。精神保健福祉全体の水準を向上させ、充実させることによって、結果として、精神障害者が不幸な「事件」に至るのを防ぐことこそが、現実的に可能で、かつ、最も望ましい方向であり、医療観察法も附則第3条に精神医療の水準の向上を掲げ、「政府は、この法律の対象にならない精神障害者に関しても、この法律による専門的な医療の水準を勘案し、個々の精神障害者の特性に応じ必要かつ適切な医療が行われるよう、精神病床の人員配置基準を見直し病床の機能分化等を図るとともに、急性期や重度の障害に対応した病床を整備することにより、精神医療全般の水準の向上を図るものとする」(同条2項)、「政府は、この法律による医療の必要性の有無にかかわらず、精神障害者の地域生活の支援のため、精神障害者社会復帰施設の充実等精神保健福祉全般の水準の向上を図るものとする」(同条3項)とあえて規定しているにもかかわらず、今日では、医療観察法関係予算のために精神保健福祉関係予算が削減されるなど、通常の精神保健福祉法に基づく医療や福祉の劣悪化現象が生じさせられるに至っている。

6.やはり廃止しかない

以上述べた医療観察法に関する現実化した問題点は、いずれも同法自体が持つ構造的欠陥に基づくものであるから、やはりこの法律は廃止させなければならないことが一層明らかになったと言うべきである。

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